人間の社会ではなぜ「弱者を抹殺する」ことが行われないのでしょうか?: kingstone page(新)
http://kingstone3.seesaa.net/article/424681899.html
> 「よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません」
>
> 動物の世界(自然の世界)は「弱肉強食」と思い込んでましたが、ここで「えっ」と思います。
> 中に書いてある例で言えば、確かに虎は兎を食べるかもしれないけど、兎が虎を食べることはなさそうです。
> だから強い肉食獣が弱い者を食べるというのはその通りなんだけど、これは食物連鎖の上の方にいる、というだけの話。
>
> たしかに自然界でのはびこり方、生き残り方で言えば、兎のほうが反映し、虎は絶滅寸前だ。
>
> 「自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です」
>
> 「全肉全食」という言葉は初めて聞きましたが、言われてみれば確かにそうだ。食物連鎖の頂点にいる虎だって、死ねば小動物や虫や細菌に食べられて、骨だけになってしまう。弱いものも強いものも等しく食べられてしまう。(しかし細菌は食べられないかな?)
>
> 「適者生存」はよく聞く言葉ですね。一瞬「弱肉強食」と違わへんやんと思いかける時もあるのですが、よく考えると全然意味は違う。
> 例えば仮説だけど、恐竜がこの世の春を謳歌していた時代に大隕石が地球にぶつかった。その時、大きく強く、そして大隕石との衝突の前の地球に適応していた恐竜は、衝突以後の日差しが弱くなり、気温が下がり、食べ物が少なくなった環境に適応できず、ほとんど滅び、小さな鳥、小さな爬虫類・両生類、そして当時弱かった小さなほ乳類は生き残った、みたいな。
> 「適者」と「強い・弱い」は別に相関するものじゃなく、また「大きい・小さい」も相関するものじゃない。
> そのあたり、すぐに勘違いしそうになります。
>
> 「遺伝子によって発現されるどういう"形質"が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です」
>
> うん。
> 何がどう役に立つか、その時になってみなければ、あるいはずーーーっと後に「そうやったんや」と「あとづけで」わかりゃおんの字、みたいな。ほとんどはわからない(少なくとも人類が生きている間は)ままかもしれない。
>
> となると
>
> 「だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです」
>
> これも、納得できる。実際、ADHDや自閉症スペクトラムは、たぶん身近な人との間にもういろんなトラブルを起こしつつ、しかしちょっと視点を広げたり、時間を長いスパンで見てみたりした時、人類の生存戦略として重要な働きをしている部分があるのじゃないだろうか?
>
> と言っても、「別に重要な働き」と思えるものが無くったって、種の保存としては多様性そのものが生存戦略のための「保険」として大事なんだよ、という話やな。
>
> で、
>
> 「「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです。その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです。
> だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです。
> 「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです。
> 我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです」
>
> 「最後は『協働』しないと人間は生き延びられない」
>
> ほんまやなあ。
http://kingstone3.seesaa.net/article/424681899.html
> 「よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません」
>
> 動物の世界(自然の世界)は「弱肉強食」と思い込んでましたが、ここで「えっ」と思います。
> 中に書いてある例で言えば、確かに虎は兎を食べるかもしれないけど、兎が虎を食べることはなさそうです。
> だから強い肉食獣が弱い者を食べるというのはその通りなんだけど、これは食物連鎖の上の方にいる、というだけの話。
>
> たしかに自然界でのはびこり方、生き残り方で言えば、兎のほうが反映し、虎は絶滅寸前だ。
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> 「自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です」
>
> 「全肉全食」という言葉は初めて聞きましたが、言われてみれば確かにそうだ。食物連鎖の頂点にいる虎だって、死ねば小動物や虫や細菌に食べられて、骨だけになってしまう。弱いものも強いものも等しく食べられてしまう。(しかし細菌は食べられないかな?)
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> 「適者生存」はよく聞く言葉ですね。一瞬「弱肉強食」と違わへんやんと思いかける時もあるのですが、よく考えると全然意味は違う。
> 例えば仮説だけど、恐竜がこの世の春を謳歌していた時代に大隕石が地球にぶつかった。その時、大きく強く、そして大隕石との衝突の前の地球に適応していた恐竜は、衝突以後の日差しが弱くなり、気温が下がり、食べ物が少なくなった環境に適応できず、ほとんど滅び、小さな鳥、小さな爬虫類・両生類、そして当時弱かった小さなほ乳類は生き残った、みたいな。
> 「適者」と「強い・弱い」は別に相関するものじゃなく、また「大きい・小さい」も相関するものじゃない。
> そのあたり、すぐに勘違いしそうになります。
>
> 「遺伝子によって発現されるどういう"形質"が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です」
>
> うん。
> 何がどう役に立つか、その時になってみなければ、あるいはずーーーっと後に「そうやったんや」と「あとづけで」わかりゃおんの字、みたいな。ほとんどはわからない(少なくとも人類が生きている間は)ままかもしれない。
>
> となると
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> 「だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです」
>
> これも、納得できる。実際、ADHDや自閉症スペクトラムは、たぶん身近な人との間にもういろんなトラブルを起こしつつ、しかしちょっと視点を広げたり、時間を長いスパンで見てみたりした時、人類の生存戦略として重要な働きをしている部分があるのじゃないだろうか?
>
> と言っても、「別に重要な働き」と思えるものが無くったって、種の保存としては多様性そのものが生存戦略のための「保険」として大事なんだよ、という話やな。
>
> で、
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> 「「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです。その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです。
> だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです。
> 「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです。
> 我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです」
>
> 「最後は『協働』しないと人間は生き延びられない」
>
> ほんまやなあ。